『カウンター越し』









カウンターの前に置かれた椅子に腰掛けて キッチンの中を眺めていた。カウンターキッチンとはなかなか便利なもので、目の前で着々と料理を進めていくランチアさんの姿が良く見える。

「ランチアさんって昔から料理上手いですよねー‥いい匂い」
「今日もまた食べて行くんだろ?」

会話をするときに必ず人の目を見て話す癖のあるランチアさんは、包丁を動かす手を一旦止めて上目気味に俺を見ながら尋ねた。本人は自覚してやってるわけではないんだろうけど、彼がよく俺に向けるその目が結構気に入ってる。

「ランチアさんがいいんなら是非。でも 何かいつもみたいで悪いですね」
「気にするな」

一人で食べるよりお前と食べた方がいいからな。と 独り言のように呟くと、ランチアさんは手の動きを再開させた。
トントン と単調な音がまた聞こえ、慣れた手付きで野菜が切られていく。そういえばランチアさんが着てるエプロン、俺が前にあげたやつだ。やたら似合ってて何だか嬉しい。

視線を顔に移して、少し伏せられた瞳を見る。特徴のあるランチアさんの瞳は普段とても穏やかで、それは一緒に居る者を何と無く暖かな気持ちにさせた。
でも、俺はその瞳が時折 ほんの一瞬だけ寂しそうな色を映すことを知っていた。その時は恐らく、五年前に教えてくれた昔のファミリーのことを思い出してるんだ と思う。
俺の知らないその人達は、彼にとっては多分 一生涯忘れることの出来ない存在となっているはずだ。俺が毎日のように会いに来たところで 彼等を失った事実は無くならないし、ランチアさんの寂しさを紛らわせてあげることも 難しい。

「おい、」

自分を見つめたまま動かない俺を不思議に思ったのか、カウンターの向こうでランチアさんが首を傾げている。

「どうかしたのか」
「いや、何でも‥出来ましたか?」
「あぁ」

先程からトマトソースの中で煮込まれていたロールキャベツと、いつの間にか添え物のポテトサラダも完成していたらしい。
小皿にトマトソースを少し乗せて味を確認すると、ランチアさんはまた皿にソースを乗せ、今度は俺の方へと差し出した。

「お前も味、見てくれないか」

柔らかい笑みと共に渡されたそれを受け取ろうとした手は、何故か ランチアさんの腕を掴んでいた。身を乗り出してカウンターに上ってしまった拍子に椅子が倒れて、ガタンと大きな音を立てる。
互いが互いの瞳を見据えて、皿から溢れたソースが台所のシンクを汚しているのに気付いたときにはもう 彼の唇にキスしてた。微かにだけど、トマトの味。

キスするつもりなんてなかったのに、身体が自然と動いてしまった。実際はたった数秒ほどのことだったはずだけど、自分が唇を離すまでの時間は 短かったようで長かったような。
それより、未だに掴んでいた腕を手放すべきかどうか。あと カウンターからはいつ降りよう。
遣り場に困った目をランチアさんの方へ向けると、俺を見つめたままの状態で瞬きもせず 一時停止している姿が映った。

「ランチアさん、」
「……‥、あ‥何だ」

しばらく固まっていたが、俺が名前を呼ぶと動揺を交えた声が返ってきて 少し笑った。
良ければ今日 泊まってもいいだろうか。尋ねようとしたけど、これ以上困らせてしまうかと思って 言えなかった。
でも今日は出来るだけ此処で、この人と居よう。

「…‥美味しかったですよ、トマトソース」

お腹空いたから もう食べましょうよ。俺も準備くらいなら手伝えますから。そう言って微笑を浮かべながら、俺はようやくカウンターから降りた。様子を伺うように目線だけ戻すと、ランチアさんは僅かに赤らめた顔を隠すように反らして、そうだな と低く返事をした。
もしかしたら、彼は初めて 俺の目をちゃんと見ずに言葉を掛けたかもしれない。


カウンター越し
前より少し、貴方に近付けた気が する。








友達以上 恋人未満で5年後のつもり. 携帯サイト1万打記念フリーでした.




†2006.2.3